行間

さっき、あるブログサイトの記事を2時間ぐらいかけてずっと読んでました。
福田総理辞任とか、もう完全にそっちのけで没頭してました。


それは、ある映画の内容に対する一個人の解釈(書き込んだ本人は「解釈じゃなくて妄想」と言っているけど)だったのだけど、その解釈があまりにものすごくて、ひとりで感嘆の溜息をつきながら、時折不意に涙腺を緩ませながら、一心不乱に読み切りました。


その映画は僕も見たことがあって、というかその監督さんの作品は昔から僕も好きなんだけど、同じ監督さんの作品でここで話題にされていた作品とは別の作品を以前に見たときに、
「これほど無数の視点から見ることが出来、考えることが出来る作品にはもうお目にかかれないのでなかろうか」
と僕自身では思ってました。


その思いを、さっき挙げた解釈は、一気に吹っ飛ばしてくれました。
こんな視点で見ることの出来る映画だったとは、今まで考えたことも無かったのです。
そしてそれと同時に、その映画に対する見方が一気に猛烈に深いものになりました。
その映画は、もはや前述の「無数の視点」どころの騒ぎではない、もう言葉として表現することが不可能なほどの数の視点で見る・考えることの出来る作品であると、気付かされたのです。



一般に、「作品」に対する「解釈」は人それぞれです。
もちろん、そうした解釈が原作者の意図とは全く異なることは多々あるでしょう。
ただ、原作者<神>の真意云々に関わらず、作品<宇宙のあらゆる事象>における行間を(時には自らの知識や経験を総動員して)髄まで読み下し、揺ぎ無い解釈を築き上げることの出来る人は本当に素晴らしいと、今日、思わされました。



宇宙のあらゆる事象の行間を読み下せる力を持った人間に、少しでも近づきたい。
そう思います。



P.S.
ちなみに、まだ当該映画を見たことがなく今後その映画を見ることになる、という方もいらしゃるかもしれませんので、映画名や監督名、そして今日読んだ解釈の文書へのアドレスは、ここではあえて控えたいと思います。
わかるかと思いますが、その作品がどうこうというのがこの記事の主旨ではありません。