愛することは出来ても、愛したくても、それを許してもらえない。そんなことが何人続いただろうか。もう考えるだけで鬱になる。

今朝、夢を見たんです。


その夢の中では、僕とある女性が、愛し合っていました。
そして、その夢の中の僕は、その状況において、幸せな気持ちに満ち溢れていました。




朝、目覚めた僕の気分は、最悪でした。


どうして、あんな夢を見てしまったのか。
どうして、あんな夢を見る脳になってしまっているのか。
そして、どうして今、現実の僕はこういう状況に置かれているのか。


思わず脳天を枕に何度も叩き付けました。そんな今日の朝でした。




ちょっと昔の話。
略奪により始まり、略奪により終わった、二人の関係がありました。
だから、あの終わり方は必然、あるいは因果応報だったのかもしれません。
そう考えると、奪われたという被害者意識ばかりを持つのもフェアではないのかもしれない。
しかし、略奪された事実に変わりは無い。


最終的に連絡を遮断してきたのは、あちらの方でした。
今となっては、彼女との連絡を取る術はありません。
なのでわかりませんが、おそらく近い将来結婚する、あるいはもうしたのでしょう。





「今振り返れば、きっとあの人も振り返ると、強く思った。」


これは、僕が生きていく上でのバイブルとしている「秒速5センチメートル」という映画の一節です。


もし、彼女を偶然街中で見かけることがあったとして、僕は振り返ることができるでしょうか。
そして、僕がもし振り返れば、彼女も振り返ってくれるでしょうか。
相手の女性が結婚間近という状況も、この映画のシーンを強く想起させます。


僕は今、数々の忌まわしき過去と戦いながら、歯を食いしばって日々を送っています。
最近になってようやく軽く笑い飛ばせるようになった過去もあれば、いまだに僕の脳を蝕む過去もあります。
しかし、人間、生きていく上で、忌まわしい過去との決別というフェーズは必要不可欠なのでしょう。
いつか、僕を蝕むこの過去とも、決別できる日が来るのでしょうか。





そう、今朝みたいな夢なんかもう二度と見ないような決別を。
略奪の痛みから解放される日を。
拒否拒絶の連続から解放される日を。