さらば、ハマの大魔神。

またひとつ、時代が過ぎ去った。

清原から空振り三振=佐々木、最後の勇姿−プロ野球
2005年8月9日(火) 20時34分 時事通信


 野球人生の集大成を見せるべく、佐々木が地元仙台で「最後のマウンド」に上がった。2回無死一塁、打席には対戦を熱望した清原がいた。先発の秦を降ろし、牛島監督が2人のために用意してくれた舞台だ。
 直球の威力とフォークに、もう往年の力はない。痛めた右ひざの状態も万全ではない。「投球練習では緊張して足が震えていた」と言う。しかし、家族が見守る前で、ぶざまな投球を見せるわけにはいかなかった。
 初球は直球。球場のスピードガンは139キロを表示した。2、3球目も直球。清原のバットは動かない。それどころか、見送る目からみるみる涙があふれた。カウント2−1から、佐々木が選んだ勝負球はフォークボール。「プロでやってこれたのはフォークがあったおかげ。最後はフォークと決めていた」。16年間の思いを込めた球で三振を奪った。2人は互いに歩み寄り、抱き合って健闘をたたえた。
 「親にもファンにも、野球で感謝の気持ちを表すことしかできなかった」と佐々木。球史に名を残すクローザーの、事実上最後の登板を大観衆はしっかりと胸に刻んだ。「佐々木コール」はいつまでもやまなかった。 


[ 8月9日 22時32分 更新 ]
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050809&a=20050809-00000149-jij-spo

大魔神佐々木主浩、今日のマウンドをもって引退です。
さすがに今日のマウンドは、見てて、こみ上げるものがありましたわ。


横浜が38年ぶりの日本一に輝いた日から、もう7年が経過しようとしてます。
あの頃、僕は高校2年生。


ラジオで横浜戦の実況を聞きながら勉強していても、
「ピッチャー 佐々木」というウグイス嬢の声と共に、
会場の大歓声がラジオのスピーカーから溢れ出ると、
勉強そっちのけで居間のテレビに走った日々を、
今でも鮮明に覚えています。


僕が横浜ベイスターズのファンになったのは、
もちろん僕が横浜出身であるということもありますが、
佐々木がいたからこそ、僕はベイスタに惹かれていったのだと思います。


あの佐々木の引退。
実感が沸きません。


今日はササ願*1でも読んで寝ることにします。

*1:ササキ様に願いを」の略ねw